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お知らせ

お知らせ

2021.10.28
11月のハガキ1枚分のメッセージ
マタイによる福音書15章11節

「口に入るものは人を汚さず、口から出て来るものが人を汚すのである。」

字は同じでも「けがれ」という感覚は「きたない」とは違います。汚いなら石鹸や消毒で解決します。汚れは石鹸では解決せず、「清め」が必要で、宗教的な領域になります。人というものは古今東西を問わず、「汚れ」という感覚を持つものだと思います。汚れを感じるので、川に身を浸して清める、あるいは水で手を清めることが必要になります。体や心の汚れはどこから来か。一言で言えば「外」から来ると考えます。何かに触れることで、あるいは汚く醜い社会にまみれる中で、いつの間にか汚れてしまうと考えます。冒頭の「口に入るものは人を汚さず」はそのことを象徴的に表しています。手を清めてから食事をしなければ汚れが体内に入ると考えた人たちがいたのです。主イエスは「口から出て来るものが人を汚すのである」と教えられ、次の言葉を言われました。「口から出て来るものは、心から出て来るので、これこそ人を汚す。悪意、殺意、姦淫、みだらな行い、盗み、偽証、悪口などは、心から出て来るからである」。私たちの奥深くに巣食うこの汚れは水では清まりません。主イエスの十字架は、これを取り除くことによってではなく、私たちがこの姿から逃げず、しっかり自己を見つめることから清められていく新しい道を開いて下さったのです。
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